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ホリエモンの「大学は要らない」という主張を吟味してみよう

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daigakuホリエモンこと堀江貴文氏は「大学は要らない」と主張する。

堀江氏がその根拠として挙げているのは次の点だ。

  • 「大学教授は自分が出している本をただ読んでいるだけだから行く意味が全くない」
  • 「勉強しようと思ったらネットで論文なんかいくらでも読める」

まずは最初の根拠である「大学教授は自分が出している本をただ読んでいるだけだ」という点を吟味してみよう。これは果たして本当のことだろうか。

たとえ大講堂で一方的に自分が書いた本の内容を一方的に話す教授だったとしても、パワーポイントを使ってわかりやすく説明したり、本に書かれていない補足説明をしたり、質問に答えてくれるということが多々あるように思う。講義を受けた人は、本を読むだけの人よりも理解度は高いだろう。少なくともまったく同じではないはずだ。

しかも独学者の場合、よほど強靭な意思がなければ、必要に迫られてもいない学問の本をコツコツと読み続けるのは困難だろう。その点、大学に通っていれば、授業に出席しなければならないわけであるから、毎週毎週少しずつであれ理解度は高まっていくはずだ。

幸運なことに感銘する講義が聞けたら、それがきかっけで学問への憧憬が芽生える可能性もある。哲学の講義を聞いて身震いするほどの感銘を受けたとか、心理学の講義を聞いてカウンセラーになりたいと思うようになった、という例は枚挙にいとまない。一方、独学者に学問への憧憬が芽生える可能性は極めて限定的だと言わざるを得ない。であるから、それも大学に行く意味の一つといっていい。

それだけではない。外国語のクラスではペアプラクティスをしたり、ゼミでは自分の研究テーマで発表したり、指導教官のアドバイスを受けながら卒論を執筆したりといことがある。理工系の大学なら実習もあれば共同研究もある。大学に行かずに独学で勉強している人にはこういう機会をもつことはできないだろう。

勉強のモチベーションにも違いが出る。卒業するには幾多ものレポートや試験という関門を通らなければならないので、独学者と比べれば、それなりに気を引き締めて勉強するだろう。その点、独学者はレポートもなければ試験もないのでコツコツと勉強を続けていくこと自体、かなり困難なはずだ。

人間関係にも違いがある。身近に同じ専門分野の勉強をしている友人がいればお互い切磋琢磨できるし、相談したり情報交換したりしやすいだろう。ところが独学者だとそうはいかない。ネットでいくらでもつながることができると主張する人もいるかもしれないが、同じ大学で同じ講義を受けている友人と4年間一緒に過ごすのとは違うだろう。

以上の点から、「大学教授は自分が出している本をただ読んでいるだけだから行く意味が全くない」というのは真実でもなければ、妥当な主張でもないといえる。

では次の根拠である「ネットで論文なんかいくらでも読める」というのは妥当だろうか。

たしかに今はネット時代である。ネットで論文もたくさん読めるだろう。しかし、学生が勉強する際に利用するのは論文がすべてではないことは明らかだ。むしろ専門書のほうが多い。そして大学図書館には一般の図書館では置いていない非常に高価な専門書がずらりとある。もちろん独学者は閲覧不可能だ。その点でも大きな差が出る。

さらに、どの専門書を読めばいいのか、どの順で読めばいいのか、といったことは独学ではなかなかわかりずらい。やはりシラバスに沿って、易しめの本からマスターしていき、理解が深まったところでより専門性の高いものに移ったほうがいいのである。そういったことも大学に通っていればわかりやすいが、独学者にはわかりずらい。

したがって「ネットで論文なんかいくらでも読める」というのは、高校しか出ていない人にとっては妥当なアドバイスとは言えない。仮に1000人の高卒者に「ネットで論文なんかいくらでも読める」とアドバイスしたとして、実際にネット上に公開されている論文で大卒並みの専門知識を獲得する人は一体何人出てくるだろうか。私には、いたとしてもほんの一握りの人たちだけのようにしか思えないし、その1000人の高卒者を1000人の大卒者と比べてみたとき、まったく同じレベルにはなるとは思えないのである。やはり専門知識を獲得するには専門書が一番だと思うし、それはいくらネットが普及しようが少なくとも数十年間は変わらないだろう。

以上、堀江氏の「大学は要らない」という主張とその根拠について吟味してみたわけであるが、誤解をしてもらいたくないのは、私は万人が「大学に行く必要がある」と言っているわけではないということだ。大学に行く必要があるかないかは、個々人によって生い立ちも違えば、家庭の事情も本人の夢も違うから一概に言うことなどできない。

私が主張したいのは、学問をしたい人は大学に行かないよりは行ったほうが望ましいケースが多いだろうということであり、ゆえに「大学は要らない」などとは言えないということである。

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