理性を磨く手段としての外国語学習、学問、資格、勉強の楽しみを語る

ホリエモンの言葉使い

人間関係が悪化するときというのは、言葉使いが間違っている場合が多いように思う。

ホリエモンが『なんで保育士の給料は低いと思う?』という記事に対し、「保育士の給与が低いのは誰にでもできる仕事だから」と発言し、物議をかもした。

保育士の仕事が「誰でもできる仕事」というのはホリエモンの単なる偏見であり、真実ではない。なのにホリエモンがあたかも真実を知っているかのごとく、上から目線で「保育士の給与が低いのは誰にでもできる仕事だから」と発言するから物議をかもすのである。こんな言い方をすれば、「保育士の仕事を馬鹿にしているのか」と怒りだす保育士が出てくるのは当然だ。

ホリエモンの発言に対し、「国家資格が必要だから誰にでも出来るわけじゃない」といったコメントが寄せられたが、驚くことにホリエモンはそのコメントに対し「論点がずれている」と述べたらしい。しかし私は論点はずれていないと思う。「誰でもできる仕事」というホリエモンの発言に対し、「誰でもできる仕事か否か」という論点で反論がなされているからである。

ホリエモンはその後、自身の発言の真意を「誰でも(やろうとしたら大抵の人は)出来る(大変かもしれない)仕事だから希少性が低く(コンビニバイトなどと同様に)給料が上がらない構造になっている」と補足したという。

しかしそういう補足説明をすること自体、自分自身の最初の発言が妥当でなかったことを認める形となっている。最初は「誰にでもできる仕事」だと言っていたのが、反論があったために「誰でも(やろうとしたら大抵の人は)出来る仕事」と表現を変えたからである。それならば最初から「誰にでもできる仕事」と言わずに「やろうとしたら大抵の人ができる仕事」と言えばよかったではないか。

しかし私はさらに言いたいのである。

保育士の仕事は「やろうとしたら大抵の人ができる」というのもホリエモンの偏見である。その証拠に保育士の仕事は保育士の免許が必要である。保育士試験の合格率は10%~20%であり、簡単な試験ではない。つまり、やろうとしても「大抵の人ができる仕事」ではないといった方がより真実に近いのだ。

新約聖書には「人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる」と記されている。言葉使いには十分に気をつけるべきなのだ。

誰でも偏見はもっている。だから偏見を話したらいけないとは言わない。しかし、偏見を話すのであれば、少なくとも自分の偏見であることを自覚したうえで、「私は〇〇という印象を受けています」とか「私には〇〇に思えます」という言葉を添えて話すようにしたらどうかと思う。偏見なのにそれを自覚せずに、上から目線で偉そうに話してばかりいると敵を作りかねないと思う。

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