理性を磨く手段としての外国語学習、学問、資格、勉強の楽しみを語る

いったい何のために勉強するのか

東大だの慶應だの早稲田などの有名大学の学生の不祥事がよくマスコミで報道される。中には退学処分になっている人もいる。

一流大学に入っているのだから、おとなしくまじめに勉強していれば、明かるい未来は開けてくるというのに、なにをもったいないことをやっているのかと思う。

本当にもったいない。

彼らは、他人が真似できないほど理性を磨いたはずではなかったのか?

しかし、犯罪を犯してしまうというのは、理性が充分に磨かれていなかった証拠といえよう。

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スエーデンボルグ

ここでエマニエル・スデーデンボルグの言葉を紹介しよう(『天界と地獄』より抜粋)。

「理性が形成されたり開かれたりするのは、それぞれの真理を知ることによってではなく、それにしたがって生きることによります。それはそれぞれの真理を霊的レベルで愛するということ、つまり、公平かつ公正なものをそれが公平かつ公正であるという理由で愛し、誠実かつ正しいものをそれが誠実かつ正しいという理由で愛し、善や真理をそれが善や真理であるという理由で愛するということです。一方、それぞれの真理にしたがって生きながらも、それを肉体レベルで愛するということは、それを自分のため、名声、名誉、利得のために愛するということです。ですから、それぞれの真理を肉体レベルで愛したとしても理性的にはなりません。なぜならその人はその真理を愛してるのではなく、自分自身を愛しているにすぎないからです」

私は本人訴訟をした経験がある。当時の私はまだ法学部を出ていなかったので、法律に関してはは素人に近かった。

相手側の弁護士は2人で、1人は東大法学部卒、もう1人は旧帝大法学部卒だった。東大法学部も旧帝大法学部も、超がつく難関であることは言うまでもないことだ。

しかし、彼らは自分たちに都合のよいように嘘八百を並べ立てた。私は、相手が嘘さえつかなければ、相手にそれほど負担がかからない方法で和解してもよいと考えていたのだが、次から次へと嘘を並べるものだから、いつまで経っても和解の話が始まらなかった。1年半後、相手方の弁護士はとうとう嘘が貫き通せないことを悟ったためか、私に泣きついてきたのだった。

これらの弁護士にも聞いてみたいのだが、いったい何のために勉強してきたのか。法的知識を駆使し嘘八百を並べて訴訟に勝つためか? 仮に嘘八百を並べて訴訟に勝ったとして、そんなことして楽しいのか?

本来、勉強というものは、理性を磨くためにあるはずだろう。平たくいえば、より善い人間になるためだろう。

なのに、犯罪を犯すだの、裁判で嘘八百を並べるだのというのは、理性的だといえるだろうか。

彼らは、世間的に見れば、一流かもしれないが、真の意味では理性は磨かれていないといわざるを得ない。スエーデンボルグ風に言えば、彼らは真理を肉体レベルでしか愛していないのである。

しかし、勉強の本来の意義は、真理を霊的レベルで愛することなのである。

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