理性を磨く手段としての外国語学習、学問、資格、勉強の楽しみを語る

自己正当化の嘘を見抜け

あなたは次のBの正当化の嘘が見抜けるだろうか(次の例は『知識の哲学 (哲学教科書シリーズ)』から引用)
A「なんでそんな本に書いてあることを信じるんだい?」

B「だって、この本は教祖様が書かれたものだから真実なんだもん」

gimonA「なんで教祖様が書いた本は真実と言えるんだい?」

B「だって、教祖様は最終解脱者だからさ」

A「どうして、教祖様が最終解脱者だって思うの?」

B「だって、この本にそう書いてあるからだよ」

あらら、一巡してしまった。

こうして文字に起こしてみれば、Bの正当化に無理があることはすぐにわかるだろう。

しかし、現実世界では、このBのように無茶苦茶な正当化を大真面目でやる人がわんさかいる。本人はそれがとんでもない屁理屈であることが分からないのである。

では、Bの矛盾はどこにあるのか。一つ一つの正当化を見れば、もっともだと思えるものの、グルリと一巡すれば、B自身がBを正当化していることがわかる。そこがおかしいのである。正当化そのものが空虚だからだ。Bの主張を支えるものがBの主張以外のところにないのだ。

自分自身が自分を正当化する過ちで、私が経験した例を挙げよう。

ビジネス上でのつきあいのあったある男性は私との約束を反故にした。話がこじれてきてニッチもサッチもいかなくなったので、調停で話をしないかと提案してみたら、調停で話し合うことを約束してくれた。ところが、調停では都合が悪いと判断したのか、その後、調停外での話し合いを強く求めてきた。そのときの文句が「私は約束を守る人間です。信じてください」だったのだ。約束をすでに何度か破った彼が自分で自分のことを「私は約束を守る人間です」と言っているのである。そんなこと信じられるはずはない。

次に挙げる例は自分自身が自分を正当化しているわけではないが、自分の過ちにまったく気付いていないという点では類似している。

某宗教団体の女性である。ビジネスでのつきあいがあったから連絡先を教えたのだが、やがて、ビジネスではなく、宗教関連の連絡をよこすようになった。そこで私は宗教関連の連絡はご遠慮くださいというメールを送った。すると、すぐ「今後は宗教関連の連絡はしない」という趣旨の返信メールを返してきた。ところが、その返信メールの後半はその宗教団体の宗教行事のご案内が書かれていたのだ。それを見た私は、この女性の頭はいったいどうなっているんだと疑わずにいられなかった。

つくづく思った。自分の過ちに気付いていない人は痛い、と。

 

 

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