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なめたことをする人をギャフンと言わせろ

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saibansyo残念なことだが、この世には理屈が通る人間ばかりではなく、理屈が通らない人たちもいれば、好き勝手なことを好き勝手やって弱者を完全になめ腐る人たちもいる。

2チャンネルの創設者のひろゆきは民事訴訟で負けて多額の賠償責任を負っているが、放っておいても死刑になるわけではないとうそぶいて完全無視を決め込んでいる。他人を、そして裁判という制度を、完全になめ腐っている証拠である。判決で決まった賠償金を踏み倒すというのは人でなしがやることと言って過言ではない。

知恵がないと、こういった理屈が通らない人たちにまんまとやられてしまいかねない。しかも、やられたままになっていると彼らは図にのってますます他人をなめ腐り続けるに違いない。というのも彼らは自ら反省するということがないからだ。

これは両者にとってよくないばかりか、社会全体にとってもよくないことだ。こういう他人をなめ腐る人たちはギャフンと言わせてやるのが一番だ。それは一種の世直しといってもよい。

ここで、私をなめ腐った人たちをギャフンと言わせた体験をお話しよう。

ある出版社から依頼があり、専業で10ヶ月かけて翻訳をしたことがあった。私は過去に何度か出版社の都合で出版中止にされたことがあったので、出版中止になることはないかと何度も念を押していた。出版中止になることはないということだったので仕事を引き受けたのだ。

ところがその出版社は出版間際になってから、売れそうにないからという理由にならない理由で勝手に出版を中止にした。しかも、その後そのまま放置したままにしてくれたのだ。

私が話し合いを求めても、ぬらりくらりの対応しかしなかった。きっとそのうち泣き寝入りをするものと心得ていたのだろう。

そこで私はやむなく調停を提案した。彼らは調停に応じると言っていたものの、結局3回連続で調停を欠席し、調停を不調に至らしめた。私が素人だと思って完全になめ腐ったのだ。訴訟は大変だからきっと泣き寝入りをするだろうと思っていたのだろう。

しかし、ここで私が泣き寝入りをしてしまうことは、のちのち、ほかの翻訳家にも悪影響を及ぼしかねない。そう思った私は心を鬼にして本人訴訟を起こした。

彼らは否応なく裁判所に出てきたものの、私をなめ腐ったもので、和解案を出しながらも延々と嘘八百を述べてきた。つまり彼らは「自分たちには非はないが、和解してあげてもいいよ」という上から目線のスタンスを取り続けたのだ。きっと彼らの読みでは、ある程度の和解案を出しておけば、いずれは私が和解を求めてくるだろうと読んでいたのだろう。

しかし、そんな嘘八百を許してなるものか。私は彼らが嘘を認めるまでは話し合いに応じる気はないと主張しつづけた。

1年半の攻防が続いた後、とうとう彼らは降参した。嘘を貫き通せないと悟ったのだ。こうして彼らは自分たちの非を認め、賠償金を払うと申し出てきた。

ただ、ひろゆきも主張しているとおり、たとえ判決が確定しても裁判所が取り立ててくれるわけでもなければ、賠償金を支払わなくても罪に問われることはない。だから期限まで払ってくれるという保証はない。被告が自ら払わない場合に、それでも被告に払わせようと思えば、原告自ら別途手続きを申し立てなければならないのだ。

そんなある日、ネットでその出版社のことを調べていると、ほかにも民事で訴えられていることが判明した。私は、早速、その日に傍聴に行き、傍聴席からその出版社の弁護士を睨みつけてやった。

その弁護士も、まさか他の裁判の日に私が傍聴に来るとは思っていなかったのだろう。睨みつけてやると、びっくり仰天したような顔をしていた。ははは、これでいいのだ。私を完全になめ腐るのがいけないのだ。

その日の夕方、驚くことに賠償金の振り込みがあった。私の睨みが相当怖かったのだろう。こういう風になめ腐ったことをする人たちはギャフンと言わせてやるのがいいと思うよ。それも一つの世直しだ。そしてそれができるようになるにはある程度知識を蓄えておくことが必要だ。知は力なのだ

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