理性を磨く手段としての外国語学習、学問、資格、勉強の楽しみを語る

なぜやりたいことが見つからないのか

20160820-1「やりたいことが見つからない」という人がいる。

そのような人は、やりたいことがないのだから、日頃やっていることといえば、外的な報酬を得られること(例えばお金が稼げることなど)をしぶしぶやっているか、暇つぶし(テレビをだらだら見るなど)くらいであろう。

そうした活動とて、やりたいからという理由でやっているわけではけっしてない。金が稼げるからやっているとか、暇つぶしになるからといった理由でやっているにすぎないのだ。

しかし、そのようなことをいくら続けたところで、やりたいことが見つかることはないだろう。

では、そのような人はなぜやりたいことが見つからないのか。

私が思うに、その一番の原因は、そのような人は、それまでの人生で外発的な動機に基づいてばかり動いていたため、内発的動機が育っていない(自分自身が育っていない)のである(外発的動機と内発的動機の違いについてはリンク先のページに論じてあるので参照されたい)。

だからそのような人は、内発的動機に基づいて動いている人を見ても理解できないことがあるし、ましてや自分自身が外発的動機に基づかずに動くことなど考えられないのである。金にもならないのにやってられないというわけである。かくして、やりたいことが見つからないという日々が続く。

では、そのような人がやりたことを見つけるにはどうすればいいだろうか。

外的な報酬(例えばお金)が得られるからという理由ではなく、外的な報酬が得られなくても、ただ純粋に楽しみたいからという動機だけで行動できそうな何かを見つけることであろう。少しでも興味が持てればそれで十分である。行動してみることである。

ピアノの演奏でもいい、エッセイの執筆でもいい、外国語学習でもいい、書道でもいい、創作料理でもいい、釣りでもいい、それまで「こんなことやって一体何になるんだ」と思っていたようなことであっても、興味が持てることであれば、興味があるというただそれだけの理由で取り組んでみることである。

もちろん、取り組んでみたけど興味が失われたということもあるだろう。実際、多くの場合、困難なことにぶつかったら途中でやめてしまいたくなるものだ。しかし、もし興味が失われてしまったら、他に興味がもてることに切り替えればいいだけのことだ。その時間は無駄になったわけではない。

このようにして次々と興味がもてることを手当たりしだいやってみることである。そしてその過程で自分が育っていくのである。

困難なことにぶつかっても、それを乗り越えてでもやりたいと思えることが見つかったらしめたものである。それこそがその人が本当にやりたいことと言っていいだろう。

 

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