ニートとは、平たくいえば、「雇用されてもおらず、教育も受けていない人」のことである。
このニートに対して賛否両論がある。実にさまざまな人がさまざまな持論を展開している。ただし、その多くは否定的か中立的なものであり、積極的に肯定しているものは少ない。
では、はたしてニートは善いのか悪いのか。ニートはニートのままでいいのか、それともそのままではいけないのか。
これを論じる前に述べておきたいことがある。
それはニートと一口にいっても、さまざまなニートが存在しており、ニートというカテゴリーに含まれるというたった一つの側面だけを見て、ニートの善し悪しを論じていては、本質が見えてこないということだ。
したがって、ニートの是非を論じるときは、ニートのどういう側面が悪いのかを明らかにすべきである。
さて、では、ニートに悪い側面があると仮定した場合、どういう側面が悪いのだろうか。
ニートにもいろいろなニートがいることはすでに述べたが、非難に当たらないニートとはどのような特徴を備えた人たちだろうか。
たとえば、家が裕福でお金を稼ぐ必要のない人を想定してみよう。
社会に役立つと思う研究に没頭するために会社勤めをしていない人の場合、私はその人を非難しようとは思わない。その人は、たしかにお金儲けはしてないが、将来、社会に有益な研究成果を発表するかもしれない。
また、研究ではなくても、小説であれ、語学であれ、芸術であれ、自分の夢に向かって努力をしているのであれば、非難されるべきではないと思う。彼らは、将来、自分の分野で道を切り開き、大きな仕事をするかもしれない。
もちろん、夢を追っている人であっても、金銭的な面で家族に迷惑をかけるようなことがあれば、その点に関しては非難されるべきだろう。たとえば、漫才師になるのを夢みて漫才の練習に励むのはいいが、それで奥さんに負担をかけるのはよくない。
私が非難したいのは、たた楽をしたいがために、親のすねをかじっているようなニートである。そのようなニートは、人間としてもっとも楽な生き方をしていると言わざるを得ない。そのような人が将来、何か社会に有意義なことを自ら率先して行うことは期待できない。
同じニートでも、どういう夢をもっていて、日々何をしているのか、そこをしっかりと見極めなければ、非難すべき人なのか否かは分からないと思う。