理性を磨く手段としての外国語学習、学問、資格、勉強の楽しみを語る

オーストラリア人解雇事件

我が翻訳部は、英日翻訳だけでなく、日英翻訳もやっていたので、英語のネイティブの校正者が常時1人いました。

最初の校正者はオーストラリア人男性でした。

もともとこのオーストラリア人男性はグループ企業で英会話の講師をしていたのですが、校正の仕事がしたいとの申し出があり、校正者となったのでした。

ところが、このオーストラリア人、日本にまったく興味がなく、日本に滞在し始めて5年以上になるというのに、まったく日本語ができないというありさま。

それはそうです。もともとこのオーストラリア人は、友人から「日本に行って英会話講師をすれば女性にもてもてになる」というのを聞いて、女性めあてで英会話講師になったような人だったのです。日本に興味があったのではなく、若い女性に興味があったのです。英会話講師時代は、それはそれは頻繁に「英会話を教えてあげる」といっては日本人女性をデートに誘い、青春を謳歌していたようです。そんな武勇伝をよく聞かされたものでした。

彼の校正の仕事は、我々翻訳スタッフが日本語から英語に訳したものを、英文として読んだときに自然になるように書き直すというお仕事。ですから日本語ができなくても全然支障がなかったのです。

ところがこのオーストラリア人、校正者になって2年もたつのに、一向に日本語を学ぼうとしません。社長はそんな彼にだんだん苛立ちを覚えるようになりました。

「力士でも日本語ペラペラだろう? なんでこいつは、翻訳部に勤務していながら2年もたつのに、日本語の一言もしゃべらないのだ? 本当だったら2年もいれば、日英翻訳くらい自分でやると言い出したっていいはずだろう? 怠け者にもほどがあるぞ」

社長はことあるごとに、「力士でも日本語がペラペラなのに、こいつは翻訳部にいながら日本語が一言もしゃべれない」というのを繰り返しいうようになりました。

彼の契約形態は1年契約で1年ごとに更新という形でしたが、社長は2年で終了にして、延長しないと言い始めました。

「もともとこのオーストラリア人を採ったのが大きな間違いだった。こんなのをいつまで置いていても、一生、日本語を学ばないぞ。それなら、ここでクビにして、もっと語学に興味のある人を採った方がいいだろう」

社長は通訳の女性を通して彼に「校正者はしばらくは使わないので、もうこれ以上、君の更新はない」と宣告したそうです。

これはオーストラリア人にとっては相当のショックだったようです。本人はまじめに働いているのに、なぜ自分がクビになるのかまったく理解できていないようでした。日本語を一切学ばないというのが解雇の理由になっていることなど思いもよらなかったようです。

ところがこれで問題が終わればいいのですが、そうはいかなかった。その後、めんどくさいことが起きたのです。

社長はすぐさま、新たな校正者を求めるために求人広告を打ちにかかったのです。

「あいつはもうじきいなくなる。今度はアメリカ人かイギリス人の一流大学卒を採ろう。だいたいね、世界の大学ランキングを見ても、トップの方は英米がほとんどだろう? オーストラリアなんでいい大学ってあるのか? ないだろう? オーストラリアってのは、もともとは罪人が島流しで連れて行かれていたところだよ。だから、もともとはレベルの低い人間の血が流れているんだよ。彼も、きっとそうだろう。こんだけ怠けものだものな。やっぱりいい人材を採ろうと思えば、英米だな。オーストラリアは外そう」

こうして社長が書いた求人広告の内容は、「北米人または英国人の校正者を求む」というものでした。オーストラリア人がはずされていたのです。

社長が書いた求人広告の英訳は私が任命されました。本当だったら、東北大出身の男性が英語が一番堪能なのですが、そのときにはすでに社長と犬猿の仲になっていたため、私が英訳する羽目になりました。

「君、これは一字一句、正確に英語にしてくれたまえ」

20代の私が60歳近い社長の命令に背けるはずはありません。私は一字一句、正確に英語にしました。つまり、「北米人または英国人の校正者を求む」とオーストラリア人をはずした英語にしなければなりませんでした。オーストラリア人を外すことに同意したわけではありませんが、社長に反対すること自体、当時の私には不可能なことでしたしたので、社長の書いたものをそのまま英訳するしかなかったのです。

私が英訳したのは事実ですが、私が英訳したものは、一応、東北大出身の男性にも目を通してもらっていました。

かくして、その数日後、その求人広告はジャパンタイムズの求人広告欄に掲載されたのでした。

運の悪いことに、その求人広告をそのオーストラリア人が目にしたのです。彼は、朝一で私を見るや否や、私に駆け寄ってきて、大声でこう叫びました(もちろん英語でです)。

「私は私が辞めさせられることにまったく納得がいってない。だけど、それは会社のほうで都合があるのだろうと思って、文句も言わずに黙って去っていこうと思っていた。しかし、こんなひどい仕打ちをするのはあまりにもひどいじゃないか。オーストラリア人を馬鹿にしているのか? これは立派な人種差別だ! これを書いたのはお前だろう? よくもこんなひどいことをやってくれたな! 絶対に許さんぞ!」

今にも殴りかかってくるのかと言わんばかりの怒りようでした。

私はこう英語で言い返しました。

「もともとの原稿は社長が書いたもので、私は英訳をしただけだ。だいたい20代の私に求人広告の内容を決める決定権などない。もちろん私がオーストラリア人を外せといったわけではない。また、私がオーストラリア人を外せとか含めろとか社長に対していえるような立場にない。文句があるのなら私ではなく社長に言ってくれないか」

しかし、彼は社長には何も言わず、私に延々と文句を言い続けました。もっとも社長は英語がしゃべれないので、社長に言っても無駄だったでしょうけど。

血相を変えて怒鳴り続ける彼を見た社長は、ジェスチャーを交えながら、「もう今日は帰っていい」とオーストラリア人に伝えたのでした。そしてその数時間後には私に彼の家まで電話をかけさせ「明日から来なくてもいい。荷物は宅急便で送ってやる」と伝えさせたのでした。

それで済めばいいのですが、これまたやっかいなことに、東北大出身の男性が私にからんできたのです。

東北大出身の男性は勤務時間中だというのに私を喫茶店に呼び出し、1対1になったところで私にこう言い出しました。

「あの求人広告はまずいよ~。なんでオーストラリア人を外したんだね? 非常識にもほどがあるよ。あのね、私はオーストラリアに住んでいたからわかるんだけどね、オーストラリアにも優秀な人はいっぱいいるよ。なのに、なぜこんな求人広告を出したんだね?」

(あの原稿はもともと社長が書いたものです。私がオーストラリア人を外せといったわけではありません。しかも、私は英訳したあとにお見せしましたよね。なんで私がお見せしたときに、オーストラリア人を外すのはまずいって言わなかったんですか?)

と、つっぱねてやりたかったのですが、20代の私が50代半ばのこの男性に反発するのはとてもできませんでした。なにしろ彼が石頭であるのはすでに体験済なので反論しても不毛だと知っていたのです。

まかり間違えば殺傷事件にでも巻き込まれかねなかったものが、事件にならなかっただけでも良かったと思える、ほろ苦い思い出です。

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