会社員として働くことは楽なことばかりではない。社員としての責任を果たさなければならないし、まわりの人たち皆が皆、馬が合うとは限らないから気苦労も絶えないだろう。
だからからか、こんなことをいう会社員の人をたまに見かけるのである。
「老後は何もせずにのんびりと暮らしたい」
あたかも「何もしないこと」イコール「幸せ」だと思っているかのようである。
しかし果たして、何もせずにのんびりと暮らすことは幸せなことだろうか。
もちろん、それで幸せだというのであれば、その「幸せ」を否定するつもりはない。
しかし、それは私には、単に「苦労がない」というだけのことのように思えてならないのだ。
そういう人の楽しみといえば、せいぜいテレビを見たり、おいしい料理を食べたり、旅行に出かけたりといった受け身で得られる快楽にすぎない。
しかし、そのような快楽によって得られる「幸せ」は長続きするだろうか。
人間というものは、同じレベルの快楽にはだんだんと慣れてしまって刺激を感じなくなる。それが当たり前だと思うからである。そして、やがては退屈という別の苦痛を感じ始めることになるだろう。
さて、アリストテレスは「真の幸福は卓越性に即した活動を行うことの中にある」と説いた。これを私流に言い換えれば「真の幸福は何か優れたことを行うことによって得られる」となる。
例えば、歌が好きな人であれば、歌の練習をして大勢の前で歌を歌い、拍手喝采されるほど嬉しいことはないに違いない。
絵を描くのが好きな人であれば、絵を描き、それを他人に見てもらうことに喜びを感じるだろう。
書道が好きな人は、書道教室に通って作品を作り上げることは大きな楽しみになるだろう。
その他、外国語学習でもスポーツでも芸術でも何でもいい。好きなことをして、その芸を磨き、それを他の人たちと分かち合う。
そのときに得られるのが、アリストテレスのいう「真の幸福」であり、単に「苦労がない」という状態よりも何倍も充実感が得られるに違いないと私は思うのである。