医学部や芸術学部などの専門性の高い学部以外に関していえば、大学では仕事に直結する技能を教わることはほとんどなかろう。
実際のところ、哲学にしても神学にしても文学にしても数学にしても経済学にしてもその他多くの学問分野にしても、大学で学ぶことが仕事に直結するとは言い難い。
多くの学部では、いわば、無用の長物にしかならないようなことばかり教わるのである。
哲学の例でいえば、神の存在は証明できるのかとか、美とは何かとか、死後の世界はあるのかとか、幸せとは何かとか、そのようなことを延々と研究したからといって、お金儲けには直結しがたい。
多くの人にとって、そのような何の得になるか分からないようなことに延々と時間と労力を割くことは困難なことだろう。
そういうわけで、そんなことよりも手っ取り早く快感が得られるもののほうに流れる人が多くなる。
私は様々な職場を経験したが、周りの人たちはよくこんなことを言っていた。
「今の大卒は使いものにならない。いい大学出てても、仕事ができるかどうかは別だ」
「高卒や専門学校卒でも優秀な人はいっぱいいるよ。○○さんは高卒だけど英検1級持っているよ」
「大学で学んだことは社会では全く役に立たなかった」
では、そういう人が採用に当たって、学歴を気にしないかといえば、けっしてそんなことはなく、むしろ大いに学歴を気にしているらしい(これは後述の鷲田氏の観察による)。
ということは、多くの人は大学教育は無用の長物だといいながらも、その効用を認めているということになる。
大学教員である鷲田氏は、多くの若者とつきあった経験から、「ともかくも大学を出た子と、優秀だが大学に行かなかった子とを比較すると、大学でほとんど勉強しなかった子でさえ、大学に籍を置いたというだけでも、スタンスの取り方や構えが、分かるほどに、大きめである」と述べている。
私も鷲田氏の言うとおりだと思う。そう思う理由を個人的な例をあげて説明しよう。
私は某大学で「知的財産権」の科目を履修した。知的財産権とは、具体的には、特許権、実用新案権、意匠権、商標権、著作権のことだが、その分野の仕事に就かなければ、その知識はまったく役に立たないように思える。
しかし、一度でも知的財産権を勉強してさえいれば、何かいいアイデアが浮かんだときに、「これはもしかしたら特許申請できるのではないか」という発想が出てきやすい。もちろん特許申請しても、すぐに商品化できるわけではないが、それはともかく勉強してさえいれば、そういう発想が出てきやすくなる。
逆に、知的財産権を勉強したことがない人は、たとえ莫大な富を生む可能性があるアイデアを思いついたとしても、埋もれたままにしてしまいがちだろう。というのも、特許申請してみようという発想が出てきにくいからです。でも、それは非常にもったいないことではないだろうか。
ここでは知的財産権の例をあげたが、その他の分野にしても、一見、無用の長物としか思えないようなことであっても、20年とか30年とかといった長いスパンで見ると、意外と役に立つ機会はあるのではないかと思うのである。