お金はだれにとっても大事なもの。ここではお金についてどう考えるべきかを名言から学びましょう。
- 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むこともない」(マタイによる福音書)
新約聖書では、お金よりももっと重要なものに目を向けるように説いています。私は、お金を求めること自体は否定したくはありませんが、お金を求める以上に、世のため人のために貢献することを優先する心構えは大切だと思います。
マタイによる福音書では、「富は、天に積みなさい」と忠告しています。では、どうすることが天に富を積むことになるのでしょうか。平たく言えば、自分の労力や時間、金銭などを世のため人のために活かすような生き方をすればいいのだと私は解釈しています。ただ、新約聖書には次のような記載があります。
- 「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」(同上)
ここまでできる人は立派ですね。なかなかそこまでできる人はいないでしょう。しかし、こういう心構えを持つことは大切だと思います。
では、金持ちになることはいけないことでしょうか。私は、金持ちになること自体はそれほど悪いことではないと思いますが、ただ、やはり金持ちになると純真な心を失いやすいのではないかと推測します。新約聖書にはこうあります。
- 「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入ることは難しい。重ねていうが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(同上)
金持ちになりたいという人は多いですが、金持ちになるという夢を持つこと自体、天国から遠ざかることなのかもしれませんね。
次はプラトンの『国家』からの引用です。
- 「そのような人(注:哲学者)は節度ある人間であって、けっして金銭を愛し求める人間ではないだろう。なぜなら、余人はいざ知らずそのような人だけは、人々が熱心にお金を求め散財することによって獲得しようと願うさまざまのものに対して、まったく関心がないはずだから」(『国家(下)プラトン』)
多くの人はお金儲けに関心がありますが、プラトンは、哲学者は金銭を愛し求める人ではないと考えていたようです。