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「批判的に吟味する」とは

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論理学を学んで良かったと思えることの一つに、ものごとを批判的に吟味することができるようになったことがある。

誤解のないように先に言っておくが、「批判的に吟味する」というのは、ただ反対するということではない。それは、どのような論拠と論理に基づいて主張がなされているのかを検討し、その主張に対し論理的に考えた上で賛成意見なり反対意見をもつということである。

人間は感情の動物であるため、「批判的に吟味する」ことは非常に難しい。論理トレーニングができていないと、自分では論理的に考えているようでいて、単に感情的になっているだけということがある。しかし、ものごとに感情的に反応してばかりいると痛手を追うのは往々にして自分だ。危険極まりない。

では、批判的に吟味するにはどうすればいいのか。

批判的に吟味するには「意味の問」と「論証の問」の2つの視点をもつ必要がある。

「意味の問」には(1)曖昧で分かりにくい表現の意味を問うことと(2)具体的にはどういうことかを問うことの2つがある。

「論証の問」には(1)主張そのものの正当性を問うことと(2)根拠から結論への導き方に飛躍があるかないかを問うことの2つがある。

ここで一例として、ある大学の偉い先生が書いた倫理学の本を批判的に吟味してみよう。

批判的に吟味することができない人は、「これは偉い大学の先生が書いた本だから正しいに違いない」と書かれてあることを鵜呑みにしてしまうもしれないが、鵜呑みにすることは非常に危険である。

その本には次のような箇所がある。

「今日の時代に生きる誰しもが共通に経験していることの一つは、日常余りにも戸惑いを感じさせる出来事が多すぎるということではないだろうか」

まず「意味の問」から行こう。この先生は「今日の時代」と書いているが、具体的にいつを指しているのが不明である。21世紀に入ってからという意味なのか、情報化社会が到来してからという意味なのか、あるいは、それ以外の意味なのか、もっと具体的に書くべきである。このような曖昧な表現は誤解のもとである。

次に「論証の問」だ。この先生は「誰しもが共通に経験していること」と言っているが、何を根拠にそう言っているのかが不明である。信頼に値する統計に基づいて主張しているのなら、そのデータを示したほうがいいし、もしそのようなデータがなく、単に自分が感じていることにすぎないのなら、「誰しも」という表現は避けて「多くの人が」というふうに表現を変えたほうがいい。論証ができていないのに、偉い先生が書いているからというだけの理由では鵜呑みにはできない。

いったん論理トレーニングをして、ものごとを批判的に吟味する力を身につけておくと、納得できないことを鵜呑みにするということが少なくなり、危険から身を守ることができるようになるのではないかと思う。

論理トレーニングをしたい人には『新版 論理トレーニング (哲学教科書シリーズ)』(野矢茂樹著)をお勧めしたい。

 

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