
アリストテレス
快楽、富、名誉を欲しがる人はいかに多いことでしょう。
彼らは、きっとそれらが幸福の源泉だと思いこんでいるのでしょう。
しかし、アリストテレスは快楽、富、名誉について次のように述べています。
「一部の智者たちは、このような多くの善のほかに、すべてこれらの多くの善をして善たらしめる因であるごとき、何らかの自体的な別の『善』が存在すると考えた」
アリストテレスによれば、快楽も富も名誉も、究極的な目的ではありません。
ところで「究極的な目的」とは何でしょうか。
アリストテレスはそれを「常にそれ自身として望ましく、決して他のもののゆえに望ましくあることのないようなもの」と言い換えています。
そして、かかる性質を最も多分に持つものは幸福(エウダイモニア)だと述べています。
たしかに幸福以上に望ましいものはないですよね?
しかし、それが分かっていない人がいるのです。
たとえば、幸福こそが無条件的に究極的な目的なのにもかかわらず、幸福を犠牲にしてまで、お金、お金、お金…と金の亡者のようにお金にしがみつく人がいます。
そういった人ははたして幸福でしょうか。
アリストテレスもいうように「富は何かのために役立つもの」ではありますが、「それ以外のものの
ために存するものでしかない」のです。ですから、それが手に入っただけで幸福になれるというわけではありません。
快楽にしても名誉にしても同じように究極的な目的とは考えにくいでしょう。
やはり、無条件的に究極的といえるのは幸福そのものなのです。
幸福を犠牲してまで、快楽、名誉、富といった「無条件的ではない」目的にしがみつくのは、愚の骨頂と言ってもいいでしょう。